笑いのアル生活

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不浄なるもの 2021/09/07

欲望のうちでももっとも執拗なのは性の欲望だといわれています。
ナーラダ仙人という苦行者が
沐浴している美女のなめまかしい女体に心を奪われ、
神通力を失ったという有名な話が『ジャータカ』に載っています。
彼の師がこの仙人に官能の恐ろしさを説き、
女身に対する欲望を除くためには、
この沐浴する美女の身体を不浄なものと観る修行をつみなさいとさとす説話になっています。 

ブッダも次のように回想しています。
われは(昔さとりを開こうとした時に)、
愛執と嫌悪と貪欲(という三人の魔女)を見ても、
かれと淫欲の交わりをしたいという欲望さえも起らなかった。
糞尿に満ちたこの(女が)そもそも何ものなのだろう。
わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ。
『スッタニパータ』

このように身体を不浄なものと観ることは、
昔から説かれていました。
しかし初期のころは、
身体をもろいもの、移りゆくものととらえていましたが、
修行者が多くなるにつれ、異性への誘惑を断ち切らせるために、
不浄観のほうが強調されるようになります。

いきなり仏教の話になってしまいました。
仏教については初心者で、
そもそもブッダがキリストより5、600年前に活躍していたことすら知りませんでした。
当時から性欲って問題だったのですね。

美女を見て、糞尿をイメージして性欲を抑える。
うーん。

どんな妖艶な美女であってもウンコもすればおしっこもする。

これについてはアル新興宗教の教祖(高橋信次)も同じ事を書いていたのを覚えており、
「どんな美女でも人間ならば垢もつもれば排泄もする」
というニュアンスの内容でよく覚えています。
(て、うろおぼえじゃん)

で、
何が言いたいのかといえば、
これら淫欲というのは男性の視点ではないのか?
ということ。

女性にも性欲はあるとは思いますが、
男性のそれとはちょっと違うような気がします。

男だったら沐浴をする美女に「ムラムラする」はあり得ても
女性にはそんな欲情の現れ方はしないのではないかということ。

性欲を超越しているのか
あるいは自分がやる気にならないと性欲はおこらないのか、

だって、
男だったら退職金を棒に振ってまでして
痴漢行為をしたり盗撮したりするけど
女性でそんな話を聞いたことがない。

女性の方が悟りを開くのに有利だと思うのですが、
ブッダもキリストも男性だしなぁ

これからは妖艶な美女を見たら
糞尿垢耳糞鼻糞歯石に虫歯をイメージするよう訓練する必要あり。

ところで、
魔女でなくても実在の人間で
“妖艶”な美女はがおられますが、
そうした方って性的衝動が大きいのでしょうか。
それとも、ご自身の性的衝動と外に表れる妖艶さとは別なのでしょうか。

また、
性的欲望が大きい男性は
“妖艶”で女性からみても魅力的なのでしょうか?
それとも「いやらしそう」と嫌悪されるのでしょうか。
(どうも後者のような気が・・・)