笑いのアル生活

日常にクスッとした笑いをみつけたい

老いは人に優しくなれる

なじみのコーヒーショップ(豆の小売り)へ行くと

いつもの店員さんが

「今日はどれにしましょうか?」と挨拶をしてくれ、

豆を挽いている間の雑談では、

いかにも“やり手”といった感じでテキパキと仕事をこなしながら

社会情勢や近所のことやらパートさんについて

辛辣な批評の熱弁をふるうのが常だったのですが、

最近なんだか優しくなってきた感じを受けるとともに、

雑談の時間も短くなってきた気がして、

 

お勧めのコーヒーを100グラムと好みのコーヒー200グラムを注文すると

なんだかヘンなことをされており、

彼女の手元ばかりが気になって注視していると、

できあがったのはお勧めコーヒー100グラム2つと好みのコーヒー200グラム。

お金を支払う段になって

「あっ」と気がついた様子で、

わたくしも

「あっ、全部買いますから」と伝えると

「いいですよ」

「買いますよ」

と何度かの押し問答の後、全てを買い取ることになり、

以前の彼女ならこんなミスは絶対なかったはず。

 

そこで思い出したのが指揮者トスカニーニ

彼の指揮者デビューは

オーケストラでチェロを弾いていたところ

演奏会前になって急遽指揮者が指揮できなくなり、

「どうしよう」とみんな困り果てていたところ

「そうだ! トスカニーニ君なら全パートを覚えているから彼に指揮をしてもらったら」

と言われて指揮棒を振ったのがはじまりとされています。

ちなみに、どうして彼が全パートを覚えていたかというと

極度の近視だったため演奏中に楽譜を読むことができず、

全て暗譜せざるをえなかったから。

そんな彼は完璧主義で楽団員に完璧を求め、

自分の指示通りに演奏しなかったバイオリニストを

バイオリンで顔面を殴ったという逸話も残っているほど。

その彼が指揮台を降りたのは

ある日突然記憶していた楽譜を思い出せなくなったからだそうで

わたくしが思うに

その日以降、他人のミス

特に記憶力に関わるミスに優しくなったんじゃないかな?

 

自分に何か秀でた能力があったとしても

人を攻撃するとその能力を失ってしまうのではないか。

いつか必ず自分自身に降りかかってくるのではないか。

生きている間ならまだしも

生きているうちに清算できなければ次に生まれ変わったときに清算するはめになるのではないか。

そんなことまで空想してしまったのでした。