三浦綾子のエッセイに、
ある夏の暑い日
お茶の先生が家に遊びにきたので、
麦茶をお出ししようと冷蔵庫から取り出し、
ふと
「麦茶とはいえ、お茶の先生にどうやってお茶を差しだそうか。無作法なことをしてしまったらどうしよう」
と思い悩んだところでよい考えが思いつくわけでもなく、
仕方なしに麦茶を入れたコップをそのままお出しすると
先生は片手でコップをつかむとゴクゴクと一気に飲み干し
その姿をみて先生の偉大さを感じた
とありましたが、
これは昭和も終わりかけの頃の話。
男の先生が生徒たちと裏山へ散歩に行ったときのこと、
道端にきれいな花が咲いていたので持ち帰り、
赴任してきたばかりの女の先生に
「これ生けておいて下さい」とお願いすると
「わたくしにそんなことはできません」と断られたので驚いてしまい、
年配の先輩に
「わたくしは彼女に嫌われているのでしょうか?」と相談すると
「彼女は花を生ける心得がないということを伝えたかっただけよ」と教えられて一安心。
でも、こうした謙虚な気持ちっていつからなくなっちゃったんだろう。