笑いのアル生活

日常にクスッとした笑いをみつけたい

はじめての

ちょっと難しい話しですね。

はじめてAAに参加したとき、
参加者の多くは回復していると思えなかった(病的に思えた)。

今回AAに参加すると
参加されている方は回復されていると感じた(健全な感じを受けた)。

>わたしのものの見方が変わった
とおっしゃられるので、
初回も今回もAAに参加されている方の回復度合いは同じで
変わったのはケイさんご自身であった
と解釈できますが、

もしかすると
ケイさんが感じたとおりだった可能性もあるわけで、

つまり、
初回に行かれたAAの参加者は
病的な方がたくさんおられたのに対し、

今回行かれたAAの参加者は
断酒歴は別として、回復途上にある方が多かったということ。

この話を伺って、
病んだ人ばっかりの自助グループって怖いだろうなぁ。
と感じた次第

重度のアル中とは

わたくしが断酒会などに所属していないのは、
重度のアル中ではないからだと思います。

重篤かどうかの違いは「連続」経験の有無。
この差はひじょうに大きいと感じます。

>わたくし自身が自助グループ
というのはおもはゆく、
身近なところではかつての二郎さんがそんな感じでしょうか。

断酒会やAAに所属しているかいないかは大きな問題ではなく、
結果として酒をやめ続けていればそれで十分。

ケイさんは上手に断酒会を活用なさっておられると思います。

さらに、
歴史のある断酒関連のサイトが次々と閉鎖されていくなかで
ケイさんががんばっておられることは大きなはげみとなっています。

どうぞこれからも末永い活動をお願いします。

孤独死

最近孤独死が取り沙汰されていますが、
その後処理もたいへんで、
専門業者に依頼するそうです。

ということをネットに書いてました。

で、
心臓系の孤独死はリビングがゴミためになってくる。
精神系は水回りがやられる
とありました。

さらに、
ゴミに混じって焼酎の巨大なペットボトルが散乱し、
中には黄色い液体が入っていて、
その正体はおしっこだそうです。

トイレに行くのがめんどくさいのか
もう行けないのか。

それを1本1本蓋を開けて洗面所に流していく作業員。

まだ酒を飲んでいた頃、
酒飲み友だちと
「最近ペットボトルの焼酎やウイスキーが売ってるけど、あれに手をつけるとホントにやばい」と
まあ、すでにやばい状態ではあったのに
どこか心理的なブレーキがかかっていたのが思い出されます。

あれはあかんよね。
巨大なペットボトル
今調べたら、4Lや5Lのが売ってる。
学生時代、焼酎の一升瓶を2人で毎日空けていて、
飲み終わるとヘロヘロになって眠りこけ、
翌朝、酒を追い出すために近くの銭湯に通うのが日課でしたが、
5Lだと体内からアルコールを追い出す隙はなく
連続経験者を増やすことにしかならないや。

それで孤独死

わたくしは、
コンビニの24時間営業に罰則を設け
あらゆる商業施設に定休日を復活させるとともに
1升以上の容器で酒類を販売することを禁止するよう
政府に働きかけてくれる人がどこかいないかな?と
切に願うものであります。
(他力本願だねぇ)

樽酒

樽酒といえば
一昨年地域の祭りで写真係りを仰せつかったときのこと、
樽酒の中身が減ると、紙パックの酒をどんどん注ぎ足し
興ざめしてした覚えがあります。

あと、
祭りの時に発泡酒を提供したところ
「祭りの時ぐらい本物のビールを飲ませろ」
とクレームがあったとの情報も寄せられていました

レシート要りますか?

ところで、
本日全国チェーンの散髪屋へ行くと店長さんらしき方が替わっていて
(定期的に替わっているようです)
最後にお金を払うと
「レシート要りますか?」と訊ねられたので
手振りで要らないと伝えたのですが、

どうしてわざわざこんなこと訊ねるのか熟考したところ、
わたくしの売上金を計上しないためだと思うに至り、

そういえば
ある散髪屋では自動販売機でチケットを購入するところもあったはず。

目の前の2千円は大きいけど
不正の金を貯めて大金持ちになったという話を聞いたことがなく、

ああ、
人間て弱いものだなと(自分も含めて)思った次第。

注:上記はわたくしの勝手な空想であって、実際のところは分かりませんのであしからず

宇宙戦艦ヤマト2205

何年かぶりに映画館で映画を見てきました。
何を見たいか決めてなかったので、とりあえず上映時間が直近のもの
で、宇宙戦艦ヤマト

ネタばらしになるけど
前半部分でガミラス星が消滅。

もしイスカンダル星がなくなると
主題歌の
「運命背負い、イスカンダルへ・・・」
とうさびの部分が全く意味をなさなくなるんだろうな。

そういえば
当初の主題歌は殆ど使ってなかったなぁ。

で、
前半は説明ばかり。
筒井康隆でしたっけ
小説の中で説明を行うというのは最も避けるべきことで
きっと映画でもそうだと思うのですが、
説明にかなりの時間を費やしていました。

そして、これからクライマックスに
というときにthe end
このときまで前半だということを知らなかったのです。
尻切れトンボというかなんというか、
アニメで前半、後半があるてのが・・・

どうりで「割引」してくれ、
すぐ捨てることになるイラスト3枚をくれたわけだ。

バック・トゥ・ザ・フューチャー」だと
最後の字幕に
「to be continued」と出てきても
だまされた、とまでは思わなかった。

見終わったあとに
このようなことばかり考えてしまうのは
わたくしの批難的な性格によるものなのですが、

もし昔の映画、
たとえば「サウンドオブミュージック」や「誰がために鐘が鳴る」
などを見ても同じように批判的になるのかどうかと考えると
ちょっと違うような気がして、

この違いは何なんだろう・・・