訳者が意図しているかどうか
翻訳ものの小説を読んでいるとき
「これはなんだ?」と思うことがあって、
たとえば、
金持ちの医者はチョコレートを溶かして飲みながら
満足そうに窓から外を眺めた。
というニュアンスのことが書いてあったときは、
「外人の金持ちはチョコレートを溶かして飲むのか」
とチョコレートを溶かした飲み物を空想し、
よくよく考えてみると、これはココア。
子どもたちが美味しそうにレモネードなるものを飲むシーンでは
「レモネードとはいったい何? きっとレモンに関係するのだろうけど」
と淡い期待を持っていたところ
レモネードがなまってラムネとなったという説を聞いてがっくりとし、
「わしはやっぱり缶詰のビールが好きだな」
というシーンから
「へえ。外国の漁師は缶詰のビールを飲むんだ」と
みかんの缶詰のような缶にビールが入っているものを想像していたのに、
缶詰のビール=缶ビール
と知って愕然とし、
これからも翻訳物にはメルヘンを残していただきたく存じます。