笑いのアル生活

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一口を残す

夕食

年配の方との雑談で

「時々女性の方で、最後の一口を残す方がおられますがあれって行儀悪いですよね。一口残すぐらいだったら、ちょっと無理してでも食べてしまえばいいのに。残った食べ物をいくら丁寧にそろえても、食べ物を粗末にしていることにはかわりありません。ダイエットなのかもしれませんが、テーブルマナーとしてはいかんと思います」

と熱弁をふるうと

「それがや、あの最後の一口が食べられへんのや。わたしの母親も残すことがあって、心の中で「最後の一口やから食べてしもうたらええのに」と思ったことがあったけど、この歳になってやっと食べられへんことがわかったんや」

とのことで、

 なるほど。そんな事情があったのかと分かったしだい。でも、わたくしが話題にしているのは年配の女性ではなく若い女性の話であって、食べられないのではなくやっぱりダイエットだと思います。それも一口だけだからそれほど効果はないはず。自分で自分をごまかしてるんだろうなぁ。いやしかし、中国ではその昔、他の家におよばれに行ったときには最後の一口を食べてはいけないというテーブルマナーがあったと聞いたことがあり、理由は全て食べてしまうと食べ足りなかったという意味になるから。十分な量をいただきましたと感謝の意味を込めて一口残すのですって。

 一方わたくしが食べ物を残さないのは、見た目が悪いせいもありますが、基本的に食に対していやしいからなのです。目の前に食べ物が残っていると、「ほら、わたしを食べなさい」と完食するまで食べ物の神様がささやき続けるのです。だからきちんとした食事だけでなく、スナック菓子でも袋入りのお菓子でも残すことはしません。身内のものは食べ残したスナック菓子をセロテープでとめたりして放り投げ、そのまましけらかして結局捨てる、なんてことを平気でやるのですが、そんなことを神様が許してくれますか? だから晩ご飯を食べたあとのわたくしの仕事は、食べちらかしたお菓子類を整理することに費やされているのです。これがスナック菓子ならまだいいのですが、ナッツ類、特にピーナツなんかだとかなり苦しい。少量でお腹いっぱいになるので、数百グラムの袋入りは処理するのに気合いが必要です。まあ、最近は小分けした少量タイプが売っているので、それを買ってもらうようにしています。

 そうそう、食に対するいやしさといえば、わたくしにはできないことがあります。今はそうした姿を見ることがなくなったので、できなかったと過去形になりますが、始発駅からの特急列車なんかだと、駅のホームで買ってきた駅弁を小さなテーブルの上に載せ、そのままの状態で数時間過ごし、お昼になってやっと食べはじめる方がおられたのですが、あれはいかん。目の前に食べ物を置いた状態で数時間過ごすのですよ。「食べなさい、食べなさい」と悪魔がささやき続けているのに、意志の力を駆使して我慢し、お昼になるとまず小さなプラスチック製の急須から、それに付属している小さな小さな湯呑みにお茶を注ぎ、うやうやしく駅弁の紐をとき、フタにこびりついている米粒を箸でこそげおとしてやっと食べはじめる。それがいつ始まるのかと数時間待たされ続けるわたくしの苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあったと分かっていただけますでしょうか。

 これが男性なら、座席にすわるやいなや弁当のフタを開けるのももどかしく、缶ビールをプシュと開けて喉を潤し、次の駅に着く頃にはすでに弁当の残骸しか残ってないというのがほとんど。この方が要らん心的労力を使わず小気味良かったなぁ。

 それで思い出した。あるとき特急列車に乗っていると、事務服を着た若い女性が複数名乗ってきたことがありました。社用の出張か何かだったのでしょう。一人が目立つ大きなビニールの買い物袋をぶらさげているので「何が入ってるんだろうなぁ」と思って見ていると、中から大量のお菓子が出てくるのです。彼女たちが大きな声で話しをはじめると同時にお菓子もみるみる減ってゆき、特急列車とはいえたった一駅の間に全て消えていったという事件に遭遇したことがあったのです。

 いずれもわたくしが子どもの頃のお話で、今では急須型のお茶はなくなり、複数人の若い女性が社用で特急列車に乗り込む姿など見かけることもなく、ちょっとしたことで時代を感じさせらるということで。

 (いったい何の話だったんだろう)