笑いのアル生活

日常にクスッとした笑いをみつけたい

分かっていても不安になる

人間が社会生活を営む上でマナーが生まれ

見た目だけの問題でなく、

お互い傷つけ合わないためにも必要なんだろうなと思うこともあって

かなり以前のこと、

インフルエンザで会社を休んでいる方から電話がかかってきて

取り次いでもらったところ、

電話口でゴホゴホしながらも要件を伝えてくれ、

体調が悪いのに仕事のことが頭から離れなかったに違いなく、

話し終わって受話器を置くと取り次いでくれた方が、

「あれだけ咳をされるとうつりそうな気がしますね」

と言うので

「全く同感」と沈黙を持って同意を示し、

絶対安全だと分かっていても心理的に落ち着かないのは

動物園で強化ガラス越しに猛獣がとびかかってこられると

反射的に身を引いてしまうのと同じなんだろうなと空想したことが思い出され、

コロナ第7波の影響の報道を見るにつけ

そんなことが思い出されるのでした。

再会

お盆のさなかにおじさんが亡くなったとの訃報が入り、

式に参列すると30年以上も会っていなかったいとこに出会い、

万一街中で出会ったとしても気づかないだろうな。

齢90を超えたおじさんだったので、

死を悲しむという雰囲気でなく、

久しぶりに会ったいとこと近況について話をするうち

ちょっと違和感を覚えたのは、

彼、彼女から

「ヘビスモ兄ちゃん」と呼ばれること。

彼らからするとそう呼ぶしかないのでしょうけど

どこからどう見ても“おっちゃん”でしかない人間から

「ヘビスモ兄ちゃん」と呼ばれるのはなんだかな。

そんなことを家に帰って話していると、

「そういうお父さまもいとこの方を、“二郎君は”とか“花子ちゃんが”とかおっしゃっているではありませんか」

と子どもに指摘され、

うん。たしかにそう言われるとそう。

ちなみに関西でよくある、

「なあなあ、兄ちゃん!」とテキ屋のおっちゃんが使う「兄ちゃん」と

「ヘビスモ兄ちゃん」とは微妙にニュアンスが違うので

そこんとこよろしく!

プレゼントをもらう

会社の総務課へ行くと事務の女性が

「ああ、ちょうどいいところに。ヘビスモさんにプレゼントがあるわよ」

とおっしゃるので、

「プレゼントって昔は嬉しかったんですけど、今じゃぜんぜん嬉しくない。そういえば子どもの頃は電話が鳴ると嬉しくて飛んででてたけど、今じゃ電話が鳴ると気が滅入ってきますが、それと同じですね」

とまたしても要らんことを言うと

ニコニコしながら書類の束を手渡してくれ、

会社からのプレゼントで嬉しいのは

出張後に戻ってくる旅費を受け取るぐらいなもの。

子どもの頃のような純粋な気持ちには

なかなかなれないなぁ。

 

 

感覚過敏

自閉症を呈する方の中には感覚器官が過度に発達している方がおられ、

ピアニストのG.グールドはかつて

知り合いから「よお!」と肩を叩かれたことが許せず

裁判にまでもつれ込み、

彼にとって肩を叩かれた行為は攻撃に匹敵する刺激だったに違いなく、

 

ところで

ある子どもが幼稚園に行きはじめの頃

行くのをどうしても嫌がるので尋ねると

「先生の弾くピアノがうるさいから」というのがその理由。

 

駅などで両耳をふさいでいる人をみかけた時には

きっと聴覚過敏なんだろうなと思ってしまうのですが、

楽家が集まってその話をしたときに

「あの子は自閉症かな?」ではなく「センスがある」

となったそうです。

阿闍梨様 2022/07/18

朝の散歩ならぬ
早朝登山での出来事。

登り30分、下り20分の山道を
朝早くだと走って降りてくる方とすれ違うときがあり、
「走って往復されるとはお元気ですね」と声をかけると
指を3つ立てて
「往復じゃないよ、3往復!」
と怒ったように訂正されるので、
「3往復もですか」と驚いてしまい、
そんな彼についたあだ名は「阿闍梨様(あじゃり様)」

先日雨の中、
いつもより遅い時間に彼と遭遇し、
近くにいた女性の方が
「今日は遅いのですね」と声をかけると
「今日みたいな日はふつう来ないんですよ!」
と怒った様に言い訳をするので、
自分で決めた時間に来てなかったことを
他人に言い訳をする姿がおかしく思え、
「これってやりがちだなぁ」と自分自身を省みるのでした。

あおり運転 2022/7/16

早朝の散歩というよりちょっとした登山。
汗だくになりながら30分かかって登り終え、
帰りの締めの石畳をかけ降りていると見知った方とすれ違い、
中央に設置された金属製の手すり越しに話をしているとついつい長話になってしまい、
わたくしたちの傍らを「おはようございます」と多くの方が登っていかれ、

すると70過ぎとおぼしき男性が
わたくしたちの横でじっと立ち止まり、
最初何か分からなかったのですが
話し相手の女性が
「あらすみません」と言いながら
手すりの下をくぐってわたくしの方へやってくると
ありがとうも何も言わずに再び登りはじめ、

これって何?

「どけ」ということだったの?

たしかに階段の中央で長話をすればじゃまだとは思いますが、
他の方は易々と通れるスペースがあるのに
じっと立ち止まって無言の威圧。
にらむまではしてこなかったのですが、
彼女1人だったら、
いや女性だけなら睨みつけるぐらいはやらかしてたでしょう。

たしかに話に夢中で通行のじゃまになっている人っています。
スーパーの通路でそれをされるとホントにじゃま。
でも、わたくしたちは周囲に目を配り、
他の人が通れるスペースは確保していたのです。

この階段が通れないなら
先の難所ですれ違うことなんてできやしない。

おしゃべりが気に障ったんだろうな。

気がつけば30分ほども雑談してしまい
このあと海岸沿いの散歩はキャンセルになっちゃったけど

ホントにホントに
普段みかけない顔だから新参者に違いないけど
それが「そこのけそこのけ」ってやな感じ。
こういう輩があおり運転をやらかすんだ!

と思うわたくしは未だ未だ未熟者です。

思いは生きている 2022/07/16

人間が相手に対して敵意を抱くとき、
ぶん殴ると相手の体にダメージを与えるのでダメだ
ということになっていますが、

超感覚的な世界では
敵意を抱くだけでもダメだ
ということになっているそうです。

つまり、
相手に敵意を向けるのは
ぶん殴るのに等しいということ。

だから自分の思いには細心の注意を払って下さい
ですって。

これは難しい。
不可能に近い。
ぶん殴られるともいかずとも
ちょっと悪口を言われただけで
殺意を抱くことなんてしょっちゅうですもの。

もし心で相手が殺すことができるなら
1時間のドライブで、4、5人は人を殺してしまっているでしょう。
(おっと、今ネタを思い出しました)

でも、
感覚を研ぎ澄まして研ぎ澄まして生きていくと
こうした自分の感情が相手に影響を与えているのが知覚できるようになるらしく、
まあ、言葉や行為によらずとも
近寄るだけで自分を受け入れてくれるかどうかぐらいなら
なんとなく分かるものですけどね。